はじめに:
大麻は世界中で広く使用されている薬物ですが、精神疾患を抱える人々においては特に深刻な影響を及ぼす可能性があります。従来から、大麻使用が統合失調症などの精神病症状を悪化させたり、暴力リスクを高めたりすることは多くの研究で示されてきました。しかし今回、イギリスの研究者たちが注目したのは「大麻使用そのもの」ではなく、「大麻の離脱症状(Cannabis Withdrawal Syndrome, CWS)」が精神科治療の経過に及ぼす影響です。
大麻離脱症候群は、長期間大麻を常用していた人が使用を中止した際に起こる一連の症状です。典型的には使用中止から24〜48時間で始まり、2〜6日後にピークを迎えます。主な症状としては、不安、いらだち、攻撃性、不眠、気分の落ち込み、食欲不振、頭痛、発汗などが知られています。こうした症状は、精神疾患を持つ患者にとって病状をさらに悪化させる危険因子になり得ます。
今回紹介するのは、ロンドンの4つの精神科病院における大規模な後ろ向きコホート研究で、精神科入院患者における大麻離脱と精神科集中治療室(Psychiatric Intensive Care Unit, PICU)への移送リスクの関係を明らかにしたものです。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12159852/
研究目的:
研究の中心的な問いは、「入院前に大麻を使用していた患者は、入院後の大麻離脱期(特に3〜5日目)にPICUへ移送されるリスクが高いのか?」というものです。
対象と方法:
対象期間:2008年1月〜2023年12月(ただしCOVID-19の影響で2020年3月〜2022年4月は除外)
対象施設:ロンドンの4つの精神科病院と4つのPICU
対象者:一般病棟またはPICUに入院した成人患者(合計52,088件の入院記録)
大麻使用の判定:電子カルテ記録を自然言語処理と手作業で確認し、現在使用・過去使用・非使用に分類
主要アウトカム:入院3〜5日目に一般病棟からPICUへ転棟するかどうか
副次アウトカム:入院中のいずれかの時点でPICUに入るかどうか
解析:年齢、性別、人種、診断、喫煙歴、覚醒剤使用歴、併存するアルコール・薬物使用障害、入院年などを調整した多変量解析を実施
・主な結果
全体の傾向
全52,088件の入院のうち、PICU入室は4,691件(9.0%)。
大麻使用者は非使用者よりPICU入室率が高かった(調整後オッズ比\[aOR] 1.44, 95%信頼区間 1.33–1.55, p<0.001)。
3〜5日目(大麻離脱期)に注目した分析
一般病棟からPICUに転棟した1,236件を対象に分析。
大麻使用者:31.0%が3〜5日目に転棟
非使用者:24.2%が3〜5日目に転棟
調整後オッズ比は 1.36(95%CI: 1.01–1.81, p=0.04)。つまり、大麻使用者は約36%高いリスクを持つことが示されました。
・サブグループ分析
女性:aOR 2.03(95%CI: 1.22–3.39, p=0.007)
35歳以上:aOR 2.53(95%CI: 1.52–4.21, p<0.001)
→ 特に女性と高年齢層で、離脱期のリスクが顕著に高まっていました。
・考察
なぜ大麻離脱がPICU移送につながるのか?
大麻離脱に伴うイライラや不眠、気分不安定といった症状が、精神疾患の急性悪化を誘発すると考えられます。特に精神病症状を持つ人では、離脱がきっかけで幻覚や妄想が増悪する可能性があり、その結果として危険行動や暴力のリスクが高まり、PICUでの管理が必要になると解釈できます。また、女性ではエンドカンナビノイドシステムの性差が知られており、離脱症状がより強く出やすいと報告されています。さらに、年齢が高い群でリスクが高かった背景には、長期的な依存や重度の使用歴が関与している可能性があります。
・臨床的意義
この研究は、精神科入院患者の中で大麻使用歴を持つ人に対し、入院直後から離脱リスクを見越したモニタリングが必要であることを強調しています。特に女性や35歳以上ではリスクが倍増するため、重点的なケアが求められます。
現状、大麻離脱症候群に対しては標準的な治療法が確立されていません。ベンゾジアゼピンや抗精神病薬の補助的使用が行われることはありますが、エビデンスは不十分です。カンナビノイド受容体作動薬の代替療法に関する臨床試験も報告されていますが、重度精神疾患患者は対象外であり、安全性と有効性の検討が今後の課題とされています。
研究の限界
大麻使用の評価は臨床記録に基づいており、詳細な使用量や依存の程度は把握できていません。 また離脱症状そのものの有無を直接測定していません。併用薬(抗精神病薬や鎮静薬)の影響を考慮できていません。
まとめ:
大麻使用歴のある精神科入院患者は、入院3〜5日目にPICUへ移送されるリスクが有意に高い傾向があることが示されました。特に女性と35歳以上の患者でリスクが顕著でした。大麻離脱症候群が精神状態を悪化させる要因となっている可能性が示唆されたと言えます。精神科臨床では、入院時に大麻使用歴を確認し、離脱リスクへの対応を早期に行うことが重要です。
この研究は、精神医療における大麻使用者への対応を再考するきっかけを提供しています。今後は、離脱症候群への効果的かつ安全な治療法の開発と、精神疾患患者に特化した臨床試験が求められるでしょう。
執筆者: 正高佑志 Yuji Masataka(医師) 経歴: 2012年医師免許取得。2017-2019年熊本大学脳神経内科学教室所属。2025年聖マリアンナ医科大学・臨床登録医。 研究分野:臨床カンナビノイド医学 活動: 2017年に一般社団法人Green Zone Japanを設立し代表理事に就任。独自の研究と啓発活動を継続している。令和6年度厚生労働特別研究班(カンナビノイド医薬品と製品の薬事監視)分担研究者。 書籍: お医者さんがする大麻とCBDの話(彩図社)、CBDの教科書(ビオマガジン) 所属学会: 日本内科学会、日本臨床カンナビノイド学会(副理事長)、日本てんかん学会(評議員)、日本アルコールアディクション医学会(評議員) 更新日:2025年9月2日
執筆者: 正高佑志 Yuji Masataka(医師)
経歴: 2012年医師免許取得。2017-2019年熊本大学脳神経内科学教室所属。2025年聖マリアンナ医科大学・臨床登録医。
研究分野:臨床カンナビノイド医学
活動: 2017年に一般社団法人Green Zone
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