下水から社会の動向を読み解く「下水疫学(WBE:Wastewater-Based Epidemiology)」。この革新的な手法を用いて、日本国内における大麻(THC)とCBDの使用状況を明らかにした最新の研究論文が発表されました。
本記事では、2020年から2023年にかけて行われた調査結果をもとに、パンデミック前後で日本の薬物使用がどのように変化したのか、そして国際的に見て日本の状況がどれほど特異なのかを詳しく解説します。
はじめに:なぜ「下水」を分析するのか?
日本において、大麻(THC)の使用は厳しく規制されており、近年では所持だけでなく「使用」に対する罰則も強化されました。一方、大麻草由来の成分であっても、精神作用のないCBD(カンナビジオール)は医療やウェルネス目的での利用が認められており、近年急速に市場が拡大しています。
しかし、違法薬物の使用実態を正確に把握することは容易ではありません。従来のアンケート調査では、社会的なタブーや罰則への恐れから、回答者が過小申告をする傾向があるためです。そこで注目されているのが、下水監視(WBS:Wastewater-Based Surveillance)です。下水には、人々の代謝を通じて排出された薬物の痕跡(バイオマーカー)が残ります。これを分析することで、特定の地域における薬物使用量を客観的かつリアルタイムに推定することが可能になります。
調査の概要:12万人の町を3年間追跡
本研究は、クイーンズランド大学、金沢大学、大阪大学の研究チームによって実施されました。論文のラストオーサーは金沢大学の本多了教授となっています。http://env.w3.kanazawa-u.ac.jp/risk/rhonda/
調査対象: 本州にある人口約12万人規模の地方都市と記載されています。
期間: 2020年10月から2023年12月まで(新型コロナウイルスのパンデミック期間とその終了後を含む)。
方法: 下水処理場の流入水を毎週収集し、液体クロマトグラフィー質量分析計(LC-MS/MS)を用いて、大麻の代謝物である「THC-COOH」と「CBD」の濃度を測定しました。
この調査の目的は、日本におけるTHCとCBDの使用頻度を推定し、その時間的な推移を明らかにすることにありました。
日本における大麻(THC)使用の現状
分析の結果、日本の大麻使用について以下の事実が判明しました。
低水準ながらも着実な増加:
調査期間中、下水から推定された大麻の平均消費量は、人口1000人あたり1日5回分(5 doses)でした。この数値は、北米(カナダやアメリカ)の100分の1、オランダやスペイン、オーストラリアの20〜30分の1という極めて低い水準です。依然として、日本は大麻使用率が世界で最も低い国の一つであることが裏付けられました。
しかし、時系列で見ると2020年から2023年にかけて、大麻の使用量は年間平均で約27%という高い割合で増加していました。この傾向は、近年の大麻関連事犯による検挙者数の増加とも一致しています。
また興味深いことに、新型コロナウイルスによる外出制限や生活の変化は、大麻使用の増加傾向に大きな影響を与えませんでした。政府による移動制限下でも、大麻の供給や消費は「回復力」を持って維持されていたことが示唆されています。
CBD利用の広がり:国際的に見た日本の特異性
本研究の最もユニークな発見は、CBDに関するデータです。
CBD使用はTHCと同等かそれ以上:
下水中の濃度比率を分析した結果、日本におけるCBDの使用頻度は大麻(THC)と同程度であることが示唆されました。オーストラリアなどの他国では、下水中のCBDの多くは大麻消費に伴う「副産物」として検出されますが、日本ではその比率が大きく異なります。日本の下水に含まれるCBDの大部分は、合法的なCBD製品の単独摂取に由来するものであることが判明しました。
また、他国との比較において、日本のCBD使用レベルは相対的に高いことが示されました。大麻そのものは厳しく規制されている一方で、健康志向やストレス緩和を目的としたCBD製品が、日本社会に広く浸透している実態が浮き彫りになりました。
東アジアにおける比較と社会的背景
研究チームは、日本と同様に厳しい薬物規制を持つ他の東アジア諸国のデータとも比較を行っています。
韓国: 国内の調査では大麻のバイオマーカーがほとんど検出されませんでした(分析手法の感度の違いも影響している可能性があります)。
中国(新疆): 人口あたりの大麻使用量は、今回の日本の調査結果よりもさらにわずかに低い結果でした。
これらの結果は、東アジア諸国における強い社会的タブー(スティグマ)と厳格な規制が、薬物使用の抑制に寄与していることを示しています。日本では、大麻独特の「匂い」によって周囲に気づかれることを恐れる消費者が多いことも、使用率を低く保つ要因の一つとして考察されています。
今後の展望と課題
今回の調査は、日本における薬物モニタリングにおいて下水分析がいかに有効であるかを証明しました。しかし、いくつかの課題も残されています。
調査範囲の限定: 今回のデータは1つの都市(人口12万人)に基づいたパイロット調査であり、必ずしも日本全国の平均を反映しているわけではありません。筆者の体感としても大麻使用者には集積性があり、若者が多い関東の都市部と高齢者が多い地方自治体でサンプリングした場合、全く異なる値が得られるように思います。
サンプリング手法: 24時間の混合サンプルではなく「瞬間サンプリング(grab samples)」を用いたため、より精緻なデータ収集には改善の余地があります。
新しい規制への対応: 今後、CBD製品に含まれる残留THCの規制がさらに厳格化されることで、下水から検出されるTHCの由来がどのように変化するかを注視する必要があります。
まとめ
今回の下水疫学調査により、以下の3点が明確になりました。
・日本の大麻使用量は世界的に見て極めて低いが、年間約27%のペースで着実に増加している。
・CBDの利用は日本で非常に一般的であり、その使用頻度は大麻(THC)に匹敵する。
・下水分析は、偏りのない客観的なデータを提供できるため、今後の日本の薬物政策や公衆衛生の監視において重要ななツールとなる。
厳しい罰則や社会的な視線がある一方で、大麻成分への関心が高まりつつある日本社会。私たちは、こうした科学的なデータに基づき、現実的な議論を進めていく必要があるでしょう。
出典: 本記事は、以下の論文の内容に基づき作成されました。 Phong K. Thai, et al. “Using wastewater analysis to estimate the prevalence of THC and CBD use in a population of Japan during and after the Covid-19 pandemic (2020–2023)” Forensic Science International 378 (2026).
執筆者: 正高佑志 Yuji Masataka(医師) 経歴: 2012年医師免許取得。2017-2019年熊本大学脳神経内科学教室所属。2025年聖マリアンナ医科大学・臨床登録医。 研究分野:臨床カンナビノイド医学 活動: 2017年に一般社団法人Green Zone Japanを設立し代表理事に就任。独自の研究と啓発活動を継続している。令和6年度厚生労働特別研究班(カンナビノイド医薬品と製品の薬事監視)分担研究者。 書籍: お医者さんがする大麻とCBDの話(彩図社)、CBDの教科書(ビオマガジン) 所属学会: 日本内科学会、日本臨床カンナビノイド学会(副理事長)、日本てんかん学会(評議員)、日本アルコールアディクション医学会(評議員) 更新日:2026年1月27日
執筆者: 正高佑志 Yuji Masataka(医師) 経歴: 2012年医師免許取得。2017-2019年熊本大学脳神経内科学教室所属。2025年聖マリアンナ医科大学・臨床登録医。 研究分野:臨床カンナビノイド医学 活動: 2017年に一般社団法人Green Zone
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