
「ミュージシャンは薬物やアルコールに頼りがちだ」——このようなイメージは、ロックスターの伝説的なエピソードやジャズシーンの歴史とともに、長らく社会に浸透してきました。しかし、この通説を裏付ける実証的なデータは、実はそれほど多くありません。特に、ジャンルごとの違いや時間経過に伴う変化を追跡した研究はほとんど存在していませんでした。
ドイツの研究チームが、プロの音楽家1392人を対象に行った大規模な追跡調査の結果を、精神医学専門誌「Der Nervenarzt」に発表しました。この研究は、音楽家における物質使用の実態と、舞台に立つ際の不安(パフォーマンス不安)との関連を、初めて縦断的な手法で検証したものです。
研究の方法
研究チームは、匿名のオンライン調査を2つの時点で実施しました。1回目の調査(T1)は2024年1月から6月にかけて行われ、音楽学生を含む1392人のプロ音楽家が参加しました。その後、2025年6月に実施された2回目の調査(T2)には、このうち327人が再び参加し、時間経過による変化を追跡できる縦断的デザインとなっています。
調査では、アルコールや大麻を含む16種類の精神作用物質について使用頻度が尋ねられました。また、問題のある物質使用を示す指標として、薬物使用も含めるように改変されたCAGE-AID(Cut down、Annoyed、Guilty、Eye-opener)という質問票が用いられました。さらに、舞台恐怖症尺度(BAF)によってパフォーマンス不安が、GAD-7によって一般的な不安症状が測定されています。
結果:音楽家の物質使用は本当に多いのか
まず注目すべき結果は、音楽家全体において、物質使用の有病率が全般的に高いという証拠は見られなかったという点です。これは「音楽家は薬物に手を出しやすい」という一般的なイメージに疑問を投げかけるものです。
調査対象の中で最も頻繁に使用されていた物質はアルコールでした。そして、参加者の21%がCAGE-AIDによる問題のある物質使用のスクリーニングで陽性反応を示しました。これは全体の5人に1人強が、何らかの物質使用に関して注意が必要な状態にあることを意味しています。
ジャンル別の比較では、ポピュラー音楽やジャズを演奏する音楽家の方が、クラシック音楽家よりも物質使用の傾向が高い結果となりました。音楽ジャンルによって職業文化や労働環境が異なることが、この差に影響している可能性があります。
パフォーマンス不安との関連については、横断的な分析において、一部の物質とパフォーマンス不安との間に弱い関連性が見られました。しかし、これはあくまで物質ごとに個別的なものであり、全体を貫くような強い相関関係ではありませんでした。
さらに重要なのは、縦断的な分析結果です。クロスラグドパネルモデル(時間差のある2つの変数間の因果的方向性を検証する統計手法)を用いた解析では、T1からT2にかけての変化はごくわずかであり、物質使用と不安との間に有意な縦断的効果は認められませんでした。つまり、「不安が強い人ほど後に物質使用が増える」あるいは「物質使用が多い人ほど後に不安が強まる」といった時間的な因果関係を示す証拠は得られなかったのです。
この結果が意味すること
この研究の意義は、音楽家における物質使用を巡る通説を、実証データによって相対化した点にあります。研究チームは、音楽家全体に一律に物質使用リスクが高いという証拠は見られなかったと結論づけています。
一方で、21%という問題のある物質使用のスクリーニング陽性率は、決して無視できる数字ではありません。研究チームは、全体としての傾向よりもむしろ、個々人が抱えるリスクプロファイルに着目することの重要性を強調しています。ジャンルや個人の背景によって物質使用のパターンは異なるため、音楽家を対象とした支援やケアを行う際には、画一的なアプローチではなく、個別の状況を踏まえた対応が求められるということです。
また、パフォーマンス不安と物質使用との間に明確な縦断的因果関係が見られなかったという結果は、「不安を紛らわすために物質に頼る」という単純なセルフメディケーション仮説を、少なくとも今回のサンプルにおいては支持しないものです。この点は、音楽家のメンタルヘルスケアを考える上で、不安への対処と物質使用の問題を別々の課題として扱う必要性を示唆しているとも言えます。
研究の限界
本研究にはいくつかの限界があります。T2の参加者はT1の1392人から327人へと大きく減少しており、追跡率の低さは結果の一般化可能性に影響を与える可能性があります。また、オンライン調査であるため、自己申告に基づくデータの正確性や、回答者に一定のバイアスがかかっている可能性も否定できません。
さらに、今回の研究はドイツの音楽家を対象としたものであり、文化的背景や音楽業界の構造が異なる他国、特に日本のような文化圏にそのまま当てはまるとは限りません。今後、異なる文化圏でも同様の縦断研究が行われることで、より普遍的な知見が得られることが期待されます。
まとめ
「音楽家は薬物やアルコールに依存しやすい」というイメージは根強いものですが、今回の大規模な縦断調査は、そうした一般化を支持しない結果を示しました。もちろん、21%という問題のある物質使用のスクリーニング陽性率が示すように、一部の音楽家にとって物質使用は現実的な課題であり続けています。重要なのは、音楽家全体を一括りにするのではなく、個々のリスクや背景に応じた支援体制を整えていくことだと言えるでしょう。この研究は、あくまで情報提供を目的としたものであり、個別の医学的判断や治療方針の決定には、専門家への相談が必要であることを付記しておきます。
参考文献
Bendau A, Plag J, Ströhle A, Betzler F, Roediger L, Petzold MB, Schmidt A, Fernholz I. High on stage? Substance use and performance anxiety among professional musicians. Der Nervenarzt. 2026. DOI: 10.1007/s00115-026-01980-5
PubMed: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/42149201/
経歴: 2012年医師免許取得。2017-2019年熊本大学脳神経内科学教室所属。2025年聖マリアンナ医科大学・臨床登録医。
研究分野:臨床カンナビノイド医学
活動: 2017年に一般社団法人Green Zone Japanを設立し代表理事に就任。独自の研究と啓発活動を継続している。令和6年度厚生労働特別研究班(カンナビノイド医薬品と製品の薬事監視)分担研究者。
書籍: お医者さんがする大麻とCBDの話(彩図社)、CBDの教科書(ビオマガジン)
所属学会: 日本内科学会、日本臨床カンナビノイド学会(副理事長)、日本てんかん学会(評議員)、日本アルコールアディクション医学会(評議員)
更新日:2026年7月21日
コメントを残す